[KW006] 愛されるより愛することを求めますように

愛されるより愛することを求めますように

これまでも何度かblogに書いたことがあるこの言葉。
アッシジの聖フランチェスコ、平和の祈り。
私の根本にある言葉。
すべてはこの言葉に集約される。

例えば、前回書いた仕事について、も同じ。
価値を提供することによってその価値に見合ったお金をいただく。
お金をもらう前に、まず自分が動くことが先。
オムロン創業者立石氏の言葉も同じ。
「最もよく人を幸福にした人が、最もよく幸福となる」
幸せにしてもらうのではなく、相手を幸せにすることが先。

人はとかく「〜してもらう」ことを期待しがちだ。
たとえば立石氏の幸福の話で言えば、私は前から疑問に思っていたのだけれど、
結婚するときに、女性が男性に向かって
「幸せにしてください」
と言うのは間違っていると思う。
もし、男性が「君を幸せにする」と言ってくれたなら、
「私もあなたを幸せにする」と答えるべきだと思う。

幸福論については、もう1つ私の中で確信していることがある。
「自らが幸福を感じている人でないと、人を幸福にすることはできない」

相手を幸せにしたいと思うとき、時には自分がガマンしたり、なにか犠牲をはらったりすることもあるかもしれない。
だけど私は、やっぱり幸せを伝染させるほうがよいと思う。
幸福感は、見えないオーラで人に伝染する。その伝染力はとても強い。
だから私はまず、些細なことでも自分が幸せを感じられるように、常に自分の感情に素直に受け入れることを心がけている。
そしてそれを自然と人にも伝えられるように。
妬みや嫉妬というネガティブな感情を持たないように。

そうは言っても、まだまだ自分も修行中。
ネガティブスパイラルに入ってしまうことだってある。
そういうとき「〜してくれない!」「どうして私だけ〜なの!」などと思ってしまったときには、
こう思うようにしている。
「〜してくれない」のは、「自分が相手に〜していない」からなんだ。
相手にしてもらうのを期待するのではなく、自分が何ができるか、を常に考えること。

愛されるより愛することを。

主よ
私をあなたの
平和 の道具とさせてください。
憎しみのあるところには愛を
いさかいのあるところには許しを
分裂のあるところには一致を
誤りのあるところには真理を
疑いのあるところには信仰を
絶望のあるところには希望を
闇に光を
悲しみのあるところには喜びを。

ああ、主よ
私に求めさせてください
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを。

与えることで私たちは与えられる
許すことで私たちは許される
そして自分を捨てて死ぬことで
永遠の命に復活するからです。

聖フランチェスコ

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