「この世界にアイは存在しません。」
「この世界にアイは存在しません。」
わたしが存在している意味。
生きている意味。
生かされている意味。
アイ、わたし、アイデンティティ、愛。
アメリカ人の父、日本人の母、養子でシリア人のアイ。
主人公アイの設定はわかりやすくなっているだけであって、
自分という存在に向き合おう、アイデンティティを知ろう、現実を見よう、というのは誰にでも大切なことだと思った。
最終的には愛だよね、ということも。
よく思い出すのは小学校3年生くらいの記憶。
わたし、自分という意識というのはどこに存在するのだろうか。
なぜ自分は「ここ」にいて、「ここ」に生まれたのか。
鏡をみながら自意識がどこにあるのか考えていた。
あまり人に囲まれているのが得意ではなく、いつも少し離れていて、冷めていた。
周りに人がいても、それは自分という意識からはすごく遠いような気がして、
とても孤独で、自分は結局ひとりなんだ…
なぜだかそんなことばかり考える内省的な子どもだった。
本を読めばこたえがわかる気がして、高校生くらいまでは本ばかり読んでいた。
オスカーワイルド、三島由紀夫、芥川龍之介、ドストエフスキー、
そういった作家が好きだった。
もちろん結論なんかでなくて、いまも探し続けている。
意識がどこにあるのかは悩まなくなったけれど、自分の存在意義はこれからもずっと考え続ける。
考えるきっかけとしての本に出会えるのは本当に素晴らしい。