長く生きていたくない

こんな考えにとりつかれているのは、きっと最近読書をしていないからなんだろう。

どこかに書いておかないといけない気がして、昨年は手書きとか日記みたいなものにこだわっていたけれど、いつかそれも書かなくなって、SNSにつぶやいたって仕方ないし、ほとんど更新していないこのブログに残すことにした。
だいたい(日記を)書かないとか(本を)読まないというのは、ほぼ必ず同期しているように思う。
考える時間を持っていない。

今日は久しぶりに泳ぎに行って、いまこうして考えていることをとどめておこうと思うに至った。
会社のランニングマシンで走ることもあるけれど、どうしても動画を見ながらになるから、考えない。
そういう意味では泳ぐのは無心になれるから良い。目からも、耳からも情報が入らないから、考えることができる。

長く生きていたくないという考えは、いま始まったことではなくて、30代のころに、人生50年と思っていた。信長じゃないけど、50年生きれば十分なんじゃないって思っていた。
だから、50を過ぎてこの先どうするのか考えておくべきだったんだと思う。50以上生きるなら、どう生きていくのかを。

誤解のないように、はっきりさせておくと、死にたいわけではない。
具体的にいうと、夫より先に死んだら夫がかわいそうだと思う。だから夫よりは長生きしなければとは思う。だけど、なんというか、長生きしたくはない。子どもの世話になるとか、病院の世話になるとか、そういうのは絶対にいやだ。

なぜ長生きしたくないなんて思うようになったのか。
千代子おばあちゃんは、もっとお芝居もたくさんみたいし、楽しいこといっぱいしたい。だから長生きしたいとニコニコしながら言っていた。
そしてふと思ったのだけれど、「~したい」というものが無いからなんじゃないかと。
「~したい」と思わないようにしている、というのが正しい。

じゃあなぜ思わないようにしているんだろうか。そこがまだ解明できていない。
健康で、家庭も平和で、子どもたちもしっかり育ってくれて、仕事もそれなりにあって、こんなに恵まれた環境は無いと思う。

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