[KW003] 「母」について

手今日は母の日。なので母の日にちなんで「母」について書いてみようと思う。
母と言っても自分の母についてではなくて、私自身が「母」という役割をどう考えているかということ。
(自分の母について書くのはあと10年か20年たってからかな。。少なくとも彼女が現役の社長業を引退してからにしようと思う。社会的な立場もあると思うしね)

役というと大げさだけど、私は実母を含めてこういう母をめざそうという具体的な目標にしている人がいない。
母に限らず、どういう人間になりたいかということについての多くは、私は小説を始めとした本から学んできた。
男性とか女性とかに限らず、人間としてどうありたいたということ。

おっといきなり話がそれてしまった〜。
あらためて「母」について。

私は自分自身、それほど早く結婚すると思わなかったし
(実際には25になったばかりで結婚した)
子どもも得意じゃなかったから産むのかどうかわからなかった。
(実際には30になる前に一度妊娠して流産し、32で最初の子が産まれた)
人生というのは善くも悪くも自分の思うように進まないものだ。

「子どもは得意じゃない」という前提で子育てを始めているから、正直、最初はとーっても下手だったと思う。
子どもとの距離感というのがよくわからない。

でもあるとき気づいた。
たぶん、母というやり方に正解はない。
だから私は私なりの母をやればいい。
私なりの母というのは、すなわち、私自身のままである、ということだ。
母を演じる必要も、無理する必要もない。

彼らだって経験こそ少ないけれど、ひとりの人間。
だから、彼らを人間としてみて、子ども扱いしないことにした。
それはある時にはとても厳しい関係になる。子どもだからといって許されることではない、という話をするから。
あくまでも彼らと人間同士として、感謝とリスペクトの関係でいたい。

それに教育するというほど私は自分が偉いとは思えない。
彼らがもともと持っている力は偉大。
どんな子育てをされてるんですか?と聞かれると私はこう答えている。
「子どもは育つ。子ども自身の力で育つ」
だから私にできることというのは、彼らが自分の力を思う存分発揮できる環境をつくること。
私には自分が育てているという感覚はない。

それでも時折、自分がすごく上から目線になってしまうことがある。
そんなときは、子どもを立たせて、自分はひざまずき、子どもの顔を見上げてみる。
すると、その姿の立派なこと!しっかり人間として生きているその姿をあらためて見て、
なんてことだ、この子のほうが自分よりもしっかり生きているじゃないかと、我に返る。

友だちみたいでいられるのは今のうちかもしれないけれど、
できるだけ、こういう関係を続けたい。
ポニョのソースケくんの家みたいに、名前で呼び合うのもいいなと思っている。
もう少し大きくなってからかな。
そしていつか一緒に飲みに行くのが夢☆

※写真は2011年12月にFBに投稿したもの
-小学生はもう恥ずかしがって外で手をつないでくれなくなりました。
-だけど今日は特別に少しだけつないでくれました。母、幸。

2 Replies to “[KW003] 「母」について”

  1. あーのるど

    まさか実子さんが、子育てを苦手に思っていたなんて、ビックリしました。FBやBLOGの内容から、仕事も家庭も全て完璧にこなせているイメージがあったので。
    子供との適性な距離感は、難しいですね。私はついつい身内だと、サポートでなくヘルプをしてしまいがちです。でも、本当は会社の部下や、友達との関係のように、きちんと自立した関係を築きたいと思い、なるべく努力してます。

    • jitsuko

      あーのるどさん、コメントありがとうございます。
      いやほんとそうなんですよ、子どもは苦手でしたね。でも自分の子どもとの距離感がわかったら、他の子どもたちとも仲良くできるようになりました。
      なるほどヘルプではなくサポートですね。納得です!

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