恩師、中西光雄先生との再会

8月の末、私の高校時代の予備校の恩師、中西光雄先生が京都にいらして時間をつくってくださったので、
久しぶりにとても楽しい時間を過ごした。

せっかくなので、先生との出会いについて振り返ってみようと思う。

先生はもう長年河合塾の講師をされているが、その前に水道橋にあるお茶の水ゼミナールで古文漢文を教えていらした。
私は田園調布にある高校に通っていたから、水道橋はとても遠かったのだけれど、
学校の友人たちと同じ予備校には行きたくなくて、わざわざお茶ゼミに通っていたのだ。
お茶ゼミはその当時、少人数クラスで、とても面白い先生方がいらしたと思う。
中西先生はとてもリズム感のある教え方をされる先生で、
それに受験用の勉強を教えてくださるだけでなくて、たとえば古文に出てくる話のなかから、
いま思えば人間力というようなものを教えてくださった。
私という人間の基礎的な部分ができあがるあの時期に、生き方について、人間力について教えてくださったことは、私にとってとても大きな影響力があった。
その当時、わたしはある意味かなりの反抗期だったと思う。大人なんて信じられないし、世の中ぜんぶ面白くない、みたいな時期だった。非行に走る子たちの本とかマンガばっかり読んでいたし。笑
今思えば笑い話だけれど、信じられる大人、の1人が中西先生だったことは間違いない。

ちょうど自分の受験が始まる頃くらいに、中西先生は河合塾にうつられ、私は無理矢理事務の方にお願いして、先生の住所を聞き出したのだった。
希望の大学に推薦で落ちたとき、その後慶應SFCに合格したとき、季節の折にはお手紙のやりとりをさせていただいていた。
大学に入ってからわりとすぐだったと思うが、河合塾にお会いしにいって、弟が音楽家で、中西圭三というのだけど、とお話くださり、その後、圭三さんのライブにご一緒したことがある。
圭三さんがデビューして間もない頃。

その後は、時とともにお手紙のやり取りも少なくなったが、中西先生はどうされているかなと思い出すことがよくあった。
先生だったら、どんなアドバイスをしてくださるかな、と。

なんとなくきっかけがつかめずに、でもいつかお会いしたいと思っていたころ、
圭三さんとtwitterでつながった。
DJ TAROさんからつながって、向谷倶楽部プロジェクトに関わらせていただいたのがきっかけだ。

向谷倶楽部 #mmclub 歴史的瞬間に立ち会えた幸運

圭三さんに、兄もblogをやっていると聞き、あらためて連絡をとらせていただいたのが、2010年。
本当にうれしかった。予備校時代から思えば20年もたっている。
先生はもちろん覚えています、とおっしゃってくださり、ついに先生とも再会することができた。

感動。

人とのつながり、縁ってほんとすごい。

そして今回お会いして先生とお話したことメモ

  • 女性のライフプランについてそれだけの意見があるなら、ぜひもっと声をあげて話してほしい。
    私はキャリアを積んでから、晩婚、高齢出産をするのではなくて、若いうちに結婚出産をして、それから仕事にうちこむという生き方もあると思うし、できればそうすべきだと思う。子どもが育ってからの方が、自分の人生が長いのだから。
    先生は激しく同意してくださって、ぜひそれを多くの人に話すべきだと言う。

  • 老舗だからこそ、新しいものへ挑戦する気概がある。それが京都。
    これは、京都に住んで1年以上がたち、まさに実感していること。老舗だからこその革新性がある。教育の分野でも同じだとのこと

  • 勝間和代さんの”「有名人になる」ということ”読んでみたらいいよ。
    先生にすすめられて読んでみましたが、、すみません、やっぱり私には無理です。笑

他にもたくさんのお話をさせていただいたけれど、先生のあたたかさに触れて、とにかく元気をいただきました。
先生の教え子として、恥じないように、これからも生きていこう。先生の自慢の教え子になれるように。
中西光雄先生、中西圭三さん、本当に素晴らしいご兄弟です。

中西先生と圭三さんとの出会いに、心から感謝。

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中西先生はご自身の研究内容をまとめて、先日、初著「蛍の光」と稲垣千頴―国民的唱歌と作詞者の数奇な運命― を出版されました。

ばっちりサインをいただきました

お会いした伊右衛門サロンでの冷抹茶ソーダ。美味しかった♪

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今月9月23日日曜日に福島県棚倉市で『蛍の光音楽祭』が開催されます。
中西先生の研究『蛍の光』の作詞者『稲垣ちかい』が棚倉町の出身である事を記念して行われるコンサートです。
そしてこのコンサートに、圭三さんがご出演されることになりました。

ご兄弟のコラボレーション、ほんと素晴らしいです!

http://mainichi.jp/feature/news/20120831ddlk07040092000c.html

2 Replies to “恩師、中西光雄先生との再会”

  1. 松本英一

     中西光雄さんの著書「蛍の光」と稲垣千頴なかで我が棚倉町生まれに「誇りを」感じております。
     「蛍」をご縁に住民一人ひとりが「蛍」の住み着く環境整備へと進んでいます。
     この場をお借りして、中西さんの特段のご指導を頂きたくコメントした次第です。

    • jitsuko

      松本さん、コメントありがとうございます。
      返信が遅くなり申し訳ありません。
      中西先生にもお伝えしますね。
      今後ともよろしくお願いします。

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