「楽しいことがたくさんあって死ねないわ」
これは今から9年ほど前に亡くなった、父方の祖母の言葉。
私の人格の大半は、この祖母から受け継いでいる。
ちゃきちゃきの江戸っ子で、心臓が弱くて入退院を繰り返していたけれど、
いっつも笑顔で楽しいことが大好きだった。
医者の宣告した寿命はとっくに通り越して、数年経ち、祖母が言ったのがこの言葉。とても印象的だった。
「長く生きられないと言われてもう十分生きてね、でもまだまだ楽しみたいことがいっぱいあるのよ。欲張りだけどまだ死ねないわ」
祖母はそう言っていた。
071209 running 死について考える
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もう1人、同じような言葉を残していった、前の会社の先輩がいる。
先輩といっても歳が上なだけで、中途で入ってきたから、同期みたいなものだった。
当時私はスキーウェアのデザインという仕事をしていて、彼女はパタンナー。
入社3年目のときに、それまで一緒にやっていた先輩が退職してしまい、私はすでにチームのリーダーをやっていた。
私たちのチームは、いまでいうANECAN世代向けのレディススキーウェアが担当で、アパレル会社から転職してきた彼女は、洋服を作るのと全く同じ手順で、とても丁寧にパターンをつくってくれていた。
女の子はシルエットが大事だから。そう言って、何度も理想の形をつくりなおす。
2人でよく残業していた。
チームでヒット商品を出した時はとても嬉しかったな。
彼女とは仕事は一緒にやっていたけれど、プライベートでは特にごはんを食べにいったりすることもなかった。
あるとき、2人で他社の視察に行き、恵比寿のガーデンプレイスでお茶をした。
とりあえず、いまのスキーウェアのデザインの仕事は置いておいて、ほかにどんな夢があるのかを語り合った。
彼女は目をきらきらと輝かせて、こんなこともやってみたい、あんなこともできると思う、と、とても嬉しそうに話してくれた。
あの笑顔はしっかり覚えている。
そして私はその年に結婚し、両立は不可能と判断して退職することに。彼女も同時に退職することになった。
入社3年目、ぴったり3年間働いて3月の末に、お互い新しい道へ進むことになった。
数年後、突然の訃報。本当に突然だった。季節の挨拶くらいしかしていなかったけど、そのうち絶対会えると思っていた。
なんとなく、彼女とはまたどこかで一緒に仕事ができるような気がしていたのだ。
同じ世代の知人を亡くす、という経験がなかった私には衝撃だった。小さな男の子もいたのに。やりたいことがたくさんあると言っていたのに。
遺影の彼女はめいっぱい笑っていたけれど、きっととても悔しかっただろう。
本当にいつも笑っていて明るい人だった。本当に明るい人って、亡くなってもその人を思い出すだけで、自分の心も明るくなる。とても不思議な力。
自分にできることは、こうして時折思い出すこと、そして彼女の分まで、やりたいことをやって精一杯生きること。
それしかない。
おばあさまの言葉、素敵ですね。。でも、この年になると志半ばにして去って行ってた友人も数人おり、なおさら人生を無駄にできないと実感します。実子さんにも会わないといけないしww。私もまだまだ死ねません。
ゆかりさんには何としてもお会いしないと!笑
仲良き友達、仲良き親友を持つことは大事なことですね。
だけど、突然の訃報に接したことには驚きました。
自分は、この間のお盆を利用して16年ぶりの上福で中学校の同窓会に出席した際、車椅子で参加した人がいました。最初はそういったたヤツもいるんだなっと感じましたが、その人の友人から尋ねてみるとIさんは10年くらい前に仕事中(JAF)に交通事故に遭ったと聞かされたのには驚きました。
「同じクラスでもあって、やんちゃな奴が・・・」と、自分は相手のことを考慮して差し控えました。
その人は同じクラスの子と結婚していますがそれなりに暮らしているとのことです。
親友は宝物ですね!