自分は何のために生かされているのか

生きているのではなくて、生かされているのだと思う。

神のお告げ、みたいなのがあればラクなんだろう。
だけど、ふつうそんなのないよね?
お告げに出会った人は幸運。それを信じていればいいのだから。
でもそれって自分で決めなくちゃいけないことだ。

生きるだけなら難しくない。
自分のためだけに生きるなら。

でも、生かされているのだとしたら、
必ず、誰かの、何かの役に立たなければならない。
自分は誰の役に立ってる?何の役に立ってる?

自問自答を繰り返す。

子どもたちの役には立ってるかもしれない。
あの人の役にも立っているかもしれない。

でも自分の存在意義としては、それだけでは不満。不足。

もっとやらなくちゃいけないことがあるはずなんだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください