2006年4月13日 大切な命が生まれた日
今日は下の子の誕生日。
2006年4月13日生まれで7歳になった。
今週から始まった小学校ー学童の生活。彼はこの程度の環境の変化はモノともせず、毎日楽しんでいるようで、こちらもとても嬉しい。
せっかくの機会なので、彼が生まれた日のことを振り返ろうと思う。
もともと4月8日が予定日だった。
2人目は早く生まれてくるというおおかたの予言?に反して、8日を過ぎても生まれる気配無し。
あとで聞いたことだけど、仕事をしていると男性ホルモンの方が強いから、女性ホルモンが強くならないと生まれてこないとのこと。
本当なのかどうか、、ともあれ8日の時点ではまだ営業に出ていたのも事実。
11日が上の子の幼稚園の入園式で、ああ入園式に出れてよかったなと思いつつ、
でもさすがにお腹がパンパンで歩くのもしんどく、入園式のあとの食事会もつらかった記憶がある。
12日の昼間に、会社で陣痛に近い症状を感じて病院に行くものの、まだですね、と言われてまた会社に戻る。
普通に夕方まで仕事をして家に向かい、さすがにごはんつくるのはしんどくて、パンパシフィックホテルのトスカでディナー。
よりによって、「鳥の丸焼きがおすすめです」とか言われてHARUが注文し、パンパンな鳥を見てもう何も食べられず。
帰宅して少しすると、また陣痛のような症状が。
今度は定期的に陣痛がくるので上の子を義父母に預けて病院に向かう。
上の子もお世話になった病院で、上の子のときは8人ほど入る陣痛室は満員だったけれど、その日は私と、初産の人と2人だけ。
経産婦さんだから大丈夫ね〜なにかあったらコールおしてね〜みたいな感じで、病院のスタッフはみな初産の方のほうにかかりきりになる。
HARUがモニターをみながら、そろそろまたくるよ〜と言いながら陣痛につきあってくれる。
どのくらい時間がたったのか、だんだん陣痛の間隔が短くなってきたあるとき、急にものすごく陣痛がきつくなる。
HARUがモニターをみて叫ぶ。
子どもの心拍が弱くなってる!!
あわててHARUがコールしてくれる。私はもう痛くてほぼ意識無し。
かけつけた看護士、助産婦、医師、みなものすごく驚き慌てる。
分娩室に運ばれた時、子どもの心拍はほぼゼロ。
意識の向こうのほうで、吸引しなくちゃダメだという声が聴こえる。
吸引します、いいですか?と言われた気がするけれど、記憶があいまい。
そこからはあっという間だった。なんとか無事に生まれて、自分はもちろん先生もスタッフみな安堵の表情。。
ほっとして気づいた時には、私はまだお腹にベルトを巻いていた。
あとになって、吸引分娩に合意したというサインをする。
もうなんでもよかった。手続きはどうでも、無事に生まれてきてくれたことが嬉しくてそれでよかった。
子どもの心拍が弱くなった原因はよくわからない。先生も疑問に思っていた。
急に陣痛が強くなってしまって、私が締めつけ過ぎたせいなのか。。
出産ぎりぎりでそんな状態だったことはもう何ごともなかったように、いま彼はすっかり丈夫になった。
タマゴアレルギーとか、喘息とか、いろいろと言われたことも、だいぶ克服してきた。
生後1ヶ月で会社に一緒に出勤し、2ヶ月で保育園デビュー、8ヶ月で認可保育園に移り、3才で幼稚園へ、
2年前に京都に引越し、保育園へ。
4つの園にお世話になって、この4月から小学校に。
そして今日、彼は7歳になった。
とても、とてもうれしい。
これからも優しくて逞しい子に育って欲しい。
生まれてくれてありがとう。
ママはあなたに出会えて幸せです。